「つらい」「苦しい」が続くと、能力が下がる

 

 

本日は「毎日を楽しめる人の考え方」p58~59の中から抜粋してみます。

 

『「つらい」「苦しい」という状況が、ストレスホルモンのコルチゾールが分泌されます。

コルチゾールは、モチベーションを下げ、記憶力を悪化させます。体内でも脳の海馬は、

もっともコルチゾール受容体が多い部位です。つまり、もっともコルチゾールの影響を

受けやすい部位ということ。

海馬は、「記憶」を司っています。そのため、コルチゾールが上がると、記憶力が

ものすごく低下します。なぜかというと、嫌な出来事を忘れさせるためです。

子どもの頃に親からひどい虐待を受けていた。しかし、大人になって、それをまったく

記憶していない、ということがよくあります。それは、コルチゾールによって記憶が

障害されるから。そうした虐待児には、「海馬の萎縮」が観察されます。

また、コルチゾールが分泌されると、意欲、モチベーションが低下します。

長期に渡って続くと、うつ病の原因にもなります。

なぜならば、今「つらい」「苦しい」ことをやっているわけですから、それを

やめさせようとするのです。そのまま無理して「つらい」ことをやり続けると、

ストレスで病気になるかも知れませんから。

ということで、「つらい」「苦しい」が続くと、集中力、記憶力、意欲が低下します。

言うなれば、脳に霧がかかった状態です。』

 

 

今日は、僕の暗い過去の話しです。

 

趣味や楽しいことをほとんどしてきませんでした。

なぜなら、子どもの頃から母親に「勉強しろ」としか言われていないからです。

いわゆる教育虐待でした。

わかりやすく言うと、毒親です。

小学校一年生から、習字、エレクトーン、英会話をやらされました。

「やってみたい」とひと言も言っていないのに。

どうやら「学校の先生になって欲しかったかららしい」です。

「公務員だから、収入が安定しているから」ということらしいです。

「これを早い時期にやっておけば、受験に有利になる」と考えて習い事をやらせたみたいです。

「それがこの子にとって良い選択だ」と思い込んでいたのでしょう。

 

本音を言えば

「自分が短大卒で、学歴コンプレックスがあった」

「誰にも認めてもらえないので、子どもを高学歴にして良い就職をさせて

自分の力を認めさせたかった」というところでしょう。

承認欲求の塊ですね。

 

僕の話しを聴いたことはほとんどありません。

王様と奴隷のような関係でした。

習字は直接教えてもらったのですが、少し間違うと後ろからバンバン殴られました。

まだ6歳だったので怖くていつも泣いていました。

エレクトーンに行っても全く興味がないので全く弾けません。

英会話に行ってもただ座っているだけでした。

 

勉強しないと棒で殴られたこともあります。

「馬鹿」と言われたことは何千回ですかね。

どんどん自信が無くなって、他人の顔色ばかりうかがうような子どもになってしまいました。

だから、仲間はずれにされたり無視されたりすることもありました。

家にいるのも辛い。

学校に行っても辛い。

ただただみんなに嫌われないように必死でした。

 

行きたくもないのに小学校6年生では、進学塾に行かされて、私立中学の受験をしました。

まぐれで受かって私立中学に通いました。

周りはみんな医者を目指すような優秀な人間ばかりでした。

ただ、みんなやらされているだけなのでストレスが溜まっているようでした。

一部に、他人を否定することばかりする人がいました。

意外と僕と同じように、行きたくもないのに塾に行かされ、やりたくもないのに勉強させられ、

行きたくもないのに私立中学校に進学していたのかも知れません。

成績はいつも下から5番以内でした。

スポーツも中途半端になっていました。

こうして、ますます自信が無くなりました。

 

高校生になっても自信がないので全然面白くないのです。

登校拒否になり学校を休みがちでした。

予習も復習もほとんどやらず劣等生でした。

部活でサッカーをやっていたけど、自信がないので練習にも身が入りません。

昼ごはんの弁当もお金も無くて何も食べないこともありました。

お弁当を食べるときは友だちと一緒に食べることができなくて、

トイレで食べることもありました。

 

生きていることが辛くて授業中に

「戦闘機が学校に突っ込んできて、全てが終わってしまえばいいのに」

と考えていたことを今でも覚えています。

僕は疲れ切っていました。

毎日楽しいことは何もなく、ただ生きているだけでした。

僕は死んでしまいたかったのです。

「大袈裟な」と思うかも知れませんが、6歳の頃から10年以上も否定されて生きていると、

生きる気力は全く無くなります。

毎日毎日つまらなくて「早く時間が過ぎればいいのに」と考えていました。

 

そして中学校の頃からずっと、母親に対して「早く死んで欲しい」と切に願っていました。

「こいつが死ななければ、自分の苦しみは終わらない」と確信していたからです。

 

おそらく僕のような人生を送ってきた人も結構いると思います。

似たような境遇の人と話してみたいです。

 

ずっと誰にも言えなかったので、ブログに書くことができて少し気が晴れました。

大学生時代の話しは、またの機会に。

 

 

続く